快適な合宿免許
昨年の夏は、ジャグァーXK8で東北自動車道を一気に四00キロ北上し、平泉から東京までゆっくりと南下する四泊五日の旅程を愉しんだ。
それ以後、私は東北にすっかり魅せられてしまい、旅は東北にかぎるとまで思いこむようになった。
クルマの旅はまず計画を立てることから始まる。
私の見たいところは歴史的な旧蹟、あるいは文学に登場する場所、そしてきわめて珍しい風景だ。
まずは観光案内から地図までをひととおり用意する。
旨いものがあれば、当然、それも食べたいから、そこの名物料理を調べておくのも忘れない。
そして旅館を調べて予約する。
雰囲気のある旅館というものは、いまや日本から少なくなりつつあり、いきあたりばったりではなかなか出逢えないから。
これで計算すればまず予定時間をオーバーしないですむ。
私は夏休みの旅が多いが、八月後半、多くの人の旅が終わった後に行くというやり方をしている。
五月のゴールデンウィーク、秋のシルバーウィークあるいは正月にはあまり出かけない。
この時期は自宅にいるかホテルにいるようにしている。
夏は服などの荷物が少なくてすむのが助かる。
そして雪の心配がないから、どんなクルマでも行けるのだ。
今年はどこにしようかと、いまあれこれ考えている。
京都から日本海側を山口あたりまで走るのはどうだろうか。
ジャグァーXK8で行ければ最高だと思う。
きっと四国の遍路の旅も素晴らしいだろう。
むろん私は歩かず、クルマで行くつもりである。
残りの人生、日本中を自分のクルマで行けたらいいナと私は思う。
では、なぜ日本なのか。
それは私が日本人であり、日本の文化がこの上なく好きだからだ。
これまで日本人にしては日本を知らなすぎたと反省した私は、これからの人生を日本のことを知るために費やそうと考えている。
日本の伝統的な文化とクルマの関係は、これからどうなるのか。
そういう疑問を抱いている人も多いと思う。
自動車という十九世紀の後半にヨーロッパで生まれた道具は、アメリカのFによって大量生産され、以後、二十世紀を走り抜いてきた。
日本に初めて来たのは意外と早く、二十世紀に入ってすぐであったが、日本に自動車ブームが訪れたのは一九二0年代から一九三0年代にかけてであった。
もちろんそれは欧米のクルマによってであり、一部の特権階級にかぎられたものであった。
日本がようやく真のモータリゼイシヨンを迎えたのは、第二次大戦後の一九六0年代からだ。
この時期になって、ようやく日本の産業が自らクルマを量産しはじめ、一般の国民がクルマを買えるようになったのだ。
私は日本中をめぐりながら、クルマと日本の伝統文化との関係を見てゆきたい。
日本の文化的なルーツは、いまから一000年以上前にあるとしても、現在、私たちが接している文化は、せいぜいここ六OO年ぐらいのものが多い。
能しかり、茶道しかりである。
歌舞伎となるともっと新しい。
これらは日本文化のほんの一端にすぎないが、日本人の民俗、生活というものは、次々と生まれる新しい文化と、つねに無関係ではいられなかった。
現代の日本は文明のみがあって、いったい文化はどこへ行ってしまったのかとでもいいたくなる惨状を呈している。
そのなかで、世界で二番目に多く作られている日本のクルマが現代の日本文化の一端を表すものとするならば、日本の旧い文化を知ることも、けっしてムダにはなるまいと思うのである。
残念というべきか、現在の日本はなにごとも経済優先であり、シェアであるとか、利益率といった数字ばかりが幅を利かせているのだが、その経済主義の代表的な存在というべきクルマは、ここに来てすこしずつ変わりはじめている。
日本は、世界でももっとも効率よくクルマを作り、それを安く世界中にパラまいて、世界一の賃金を受けとる国となった。
そして、その間、名車や歴史に残るクルマということについては、いっさい無関心であった。
しかし、これからはそいつも相当変わっていくだろう。
日本の伝統文化とクルマの関係は将来どうなるのか。
その答えはことによると現代の日本でも見つかるものなのかもしれないし、ことによったらしょせん日本の文化的伝統とはまったく無縁なものなのかもしれない。
前にも書いたように、クルマというものは十九世紀のヨーロッパ人が生み出し、それをFが量産化し、それから約半世紀後、日本でブームとなったものなのだから。
私は、そういう視点から日本の歴史を想うために、日本の風習を知りたい。
文化を知りたい。
日本的なものとは何か。
現代に日本を求めるとしたら、それはどんなものなのかを考えてみたい。
そのために私は旅をする。
そこでいろいろな話を聞き、食べ、見るのである。
日本人のDNAにクルマの因子が刻みこまれるのは、おそらくこれからだろう。
そうなってから、日本にもF1のワールドチャンピオンが誕生するだろうし、F・PやH・R、あるいはP・Fのような自動車人が育つかもしれないと思うのだ。
私は、自由で気ままなクルマの旅を重ねながら、命について、ずっと考えてゆきたい。
日本人とクルマの運猫がやってきてから生活がすくなからず変わった長距離の旅はワイフと行く。
九州も東北もワイフと二人で走った。
我が家はずっと二人である。
結婚して三五年、ずっと二人でやってきた。
もちろん普通の夫婦だからケンカもするし、「いなくなったほうがいい」と考えることもないわけじゃない。
でもクルマで旅に行くときはいつも二人だ。
ひとつは旅の計画をワイフにすべてまかせていることもある。
また、ナビゲーターもワイフにまかせている。
そんなわけで夫婦二人のドライブになるのだけど、だからといって退屈はしない。
三五年も連れあっているけれど、話が途切れることもない。
むしろお互いに気のおけない仲間であり、何を言っても理解されると思っている。
とはいっても二人の間には最低限のルールがあって、言ってはならないことが存在することもまたほんとうのことだ。
その長いこと二人だけの家に最近、家族が増えた。
猫のチャオが加わったのである。
ワイフの友人が猫好きで、捨て猫を拾った。
そのまだ生後六カ月ぐらいの雄猫はまったく目が見えないのだと聞いて、私はその子猫を飼うことに決めた。
なぜか。
その猫がハンディキャップを持っているからである。
私はうんと可愛がって、この全盲の猫をできるかぎり幸せにしてやろうと思ったのだ。
右目が白濁しているのだが、それ以外の外観は、ごく普通の日本猫である。
名前はチャオと決めた。
イタリア語で「ハーイ」というところである。
チャオが来てから、我が家の生活はすくなからず変わった。
もちろんワイフと私の会話も半分はチャオの話となった。
とにかく可愛いのである。
飼ってみてはじめてわかったのだが、猫というやつはこちらの意図がまったく伝わらない。
よかれと思ったことをしても、彼の気分でどうなるかわからない。
それでもこちらは一生懸命可愛がる。
不思議なものである。
チャオは目が不自由だから外へは出さない。
せいぜい晴れた日にベランダで遊ばせるぐらいである。
私が出かけるとき玄関に送りに出る。
帰ると迎えにくる。
これが愉しい。
だからなるべく家へ帰るようにしたいと思うようになった。
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